SSブログ

言語活用能力 [日記・雑感]


スポンサードリンク

有能と有能でないことの、違いを生む違いについてです。

様々な原因があろうかと思います。
しかし、そのなかでも何か一つを取り上げるとしたら。

それはひょっとしたら、言語能力ではないかとふいと考えました。
もっと具体的にいうと、
・対話相手の意図を正しく理解すること
・自分の考えや相手の考えをニュアンスの違いまで区別できるように、
 豊富な語彙を持つこと
・その結果、自分の考えを適切に表現できること
の三点です。

自分の勝手な思い込みで相手の言葉を解釈したり、独善的な言辞を善意のもとに紡ぎ出す。
人によって定義が異なる言葉や概念を不用意に使い、誤解を生んだり、無用な混乱を生み出す。
言語は思考した結果をただ単に表現するにとどまらず、そもそも思考自体が使える
言語に制限を受ける。
つまり、大雑把な言語表現しか使えないとしたら、それは大雑把な思考しか生み出せない。

だからといって、言語活用能力は生まれつきの才能ではなく、訓練によって桁違いに
成長できる分野だとも考えています。
絶対音階のように、生得の資質によってできるものではなく、習慣的な訓練によって
習熟できる能力だからです。
オオカミ少年・オオカミ少女の例を挙げるまでもなく、人が社会の中で円滑に
コミュニケーションを行えるのは、家庭・社会における毎日の言語的実践的生活に
よってです。

さらに、誤解を恐れずに言ってしまえば、いわゆる組織内の仕事における能力は、
各個人の個性や個別的な特性にはさほど大きく依存していない。
だから、誰かが転勤や退職によって欠けてしまっても、すぐにほかの誰かが
その穴を埋めることができる。
似たような学歴・経歴の人間が後釜に据えられることが多いから当然と言えば
当然ですが、本質的な意味で基礎的な言語活用能力さえあれば、
大半の仕事は次の継承者が滞りなく遂行できる程度のものだからです。
逆に言うなら、私たちは組織の仕事にはそういうものを選んでいるとも言えます。
政治家には二世・三世がたくさん存在しますが、芸術家にはそうした事例はごく
少ないですものね。

では、言語活用能力を育成するためにはどうするのがよいか。

発言の正否ではなく、その論理的組み立てに焦点化することだと考えます。
なんとなくそう感じるから、ではなく、具体的な裏付けを伴った発言ができるか
どうか、です。

相手の表情に気圧されて「できます!」とその場しのぎで無責任に言ってしまう
ことがまずいのは当然ですが、
その際に「できますと言えるのは、どのような水準を超えるからなのか?」とか
「どの程度、その水準を達成できるのか?」とか「達成できた暁には、現状と
比較してどのような違いが生み出せるのか?」
など、具体的観点に及ぶ発言を自発的に行えるかどうか、などの観点を意識できるか
どうかだと思います。
裏付けとなる事項に関する不勉強や無知があって、その帰結としての結論に
首肯できなかったとしても、その組み立てが適切であったなら、率直に評価する。

これが人を育てる要諦かと考えます。


nice!(2) 
共通テーマ:学校

nice! 2

Facebook コメント

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。