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生きる意味 [日記・雑感]


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いつもトレードのことばかり考えていますが、それでも生きる意味について
無関心ではいられません。

高校生の頃は、「崇高的な何かがあってしかるべきだ」と単純に思い込んで
いましたが、たぶん、そんなものなどあるわけではないのでしょう。

よくわからないままに生まれてきて、よくわからないままに死んでいくのが
実際の人生だというのが真実ではないかと思います。

正確には、あらかじめ規定されている意味は存在しないのでないかと思います。

「自分は何のために生きているのだろうか?」という問いに、
客観的な答えは存在していない。

考えれば考えるほど空恐ろしい事実です。

毎日やっていることと言ったら、ただ食べて、働いて、眠って、会話して、
あと多少特別なものと言ったら、家族との「親密な」コミュニケーションぐらいな
ものです。
最初の3つは延々と続きますが、4つめは途切れがちになってもおかしくないし、
最後のものなど形ばかりの家族であれば期待すべくもありません。

「これが生きていることなのか?」

よくよく考えれば、愕然とするような繰り返しが日常です。


あらかじめ用意されている意味などない、と考えるのがもっとも適切です。

つまり、
そもそも、人生にはあらかじめ規定されている意味などない。


しかし、どうしても考えたくなるのが人間です。



だとすると、生きる意味は自分で決めるというのが、自然な流れです。
「会社で出世する」
「子供をつくって、精一杯自分で理想とする育て方をする。」
「金持ちを目指す。」
「自分の興味のある分野の本だけを読んで、一生を過ごす。」
「灯台の管理人になって、人間とは必要最低限の接触だけにとどめ、ネコと
仲良く暮らす。」

自分が意味を規定してしまう。

おそらく、これ以外に具体的解決策はないのではないかと思います。

丸一日、ほとんど誰とも会話せずに、ただトレードプランを作成して、
じっとタイミングが来るのを待ち続ける。
時間をもてあますので、スーパーに買い物に出かけたり、ジムに運動に
出かけたりする。
仕事が終わって帰宅した妻との会話が、一日のうちで唯一の生身の人間との
会話だったりする。
こんな単調な毎日を繰り返す。

普通のサラリーマンであればもう少しましかもしれないでしょうけれど、
本質的にはそれほど変わらないのではないかとも、考えてしまいます。

自分が生きているうちに遣いきれないお金は、ただの数字に過ぎないと
思うようになってきました。
ただ困ったことに、どれくらいの金額が自分にとって遣いきれる金額なのか
ということです。 笑

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